都心に集まるという「非効率な贅沢」の終焉

2026年現在、多くの企業が「食事補助」や「社食の充実」を掲げ、これを「第3の賃上げ」と呼んでいる。
しかし、私はこの風潮を眺めるたびに、ある種の滑稽さを感じざるを得ない。
エクセルを叩き、メールを返すだけの仕事であれば、場所を選ばず遂行できるはずだ。
それなのに、わざわざ地価の高い都心に集まり、結果として跳ね上がったランチ代を会社が補填する。
これは福利厚生ではなく、システムの不備を埋めるための「補填」に過ぎない。

私が都心のオフィスビルを眺めて思うのは、これが極めて「非効率な贅沢」であるということだ。
高い場所代を払い、高い食事代を払い、その維持のためにまた新しいビジネスが生まれる。
合理的な視点から見れば、そもそもそこに集まらなければ発生しなかったはずの無駄を、善意の顔をした「補助」で覆い隠しているに過ぎない。

社食・食事補助:都心の高コストを埋めるための「延命措置」

「キッチンレス社食」のようなサービスが流行する背景には、都心の飲食店がもはや労働者の日常を支えられないほど高騰している現実がある。
会社側は人材を繋ぎ止めるために食事を支援するが、それは実質的な昇給というよりも、都心という異常な環境で労働を継続させるための「延命措置」だ。

私は、こうした「無駄を解消するために別の無駄を重ねる循環」を、終わりの始まりだと捉えている。
高いランチ代に一喜一憂し、社食のメニューで家計を支えようとする姿は、投資家や経営者的な視点で見れば極めて脆弱だ。
自分たちの生活の主権を、場所とプラットフォームに明け渡していることに他ならないからだ。

メンテナンス費用としてのアイデンティティ

なぜ、これほどまでに不合理なことが続いているのか。
それは「都心のオフィスで働く自分」というアイデンティティを維持すること自体に、多くの人が価値を見出しているからだろう。
たとえ実利が伴わなくても、都会の喧騒の一部であることに安心感を覚え、そのステータスを維持するために金を払う。

私は、この「アイデンティティ維持費」こそが、現代の都市労働者が背負わされている最も重い負債だと確信している。
合理性のない場所に留まり、その維持のために多大なコストを払い続けることは、生存戦略としてはあまりに危うい。
「エクセルを叩くだけならどこでもできる」という冷徹な事実に目をつむり、虚像の維持に躍起になる姿は、一種のエンターテインメントのようにさえ見える。

結論:実体への回帰。糸島から見る都市のエンターテインメント化

結局のところ、賢い投資家や経営者の振る舞いとは、もっと「実体」に近いところにあるべきだ。
都心で高いランチ代を払う代わりに、糸島のような場所で自分で育てた野菜や地元の新鮮な食材を安く食べ、浮いた資金をゴールドや銀などの現物資産に回す。
これこそが、不確実な未来を見据えた真の「合理性」ではないか。

都市の喧騒は、もはや一部の層がアイデンティティを維持するための舞台装置と化している。
私たちはその舞台から降り、文明のバックアップとしての食料自給や、物理的なインフラの確保を着々と進めるべきだ。
「終わりの始まり」を告げる都心の灯を遠くに眺めながら、実体ある生活を構築すること。
それが、2026年を生き抜くための唯一の正解だと私は信じている。

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#働き方#経済#合理性#自給自足#デジタル主権

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