情報商材が形を変えて生き残る理由

私は、昔ながらの情報商材はすでに終わったと思っていた。
札束や高級車を見せつけ、一発逆転を煽る古典的な手法は、さすがに多くの人が警戒するからである。
ところが現実には、情報商材はより巧妙な姿へ進化していた。

最近は「副業支援」「リスキリング」「自立した働き方」といった、いかにも健全そうな言葉をまとって現れる。
内容もプログラミング、動画編集、SNS運用、AI活用など、一見すると真っ当な学習テーマである。
表面だけ見れば、怪しさはかなり薄れている。

しかし構造は変わっていない。
将来に不安を抱える会社員、子育て中の主婦、収入に悩む人々を集め、低価格商品や無料セミナーで入口を作る。
そして最終的に高額コンサルや高額講座へ誘導する。
派手さは消えたが、搾取の精度は上がったと私は感じる。

売られているのは知識ではなく希望である

私は、この種の商売が生理的に苦手である。
なぜなら、売っているものが知識そのものではなく、「人生が変わるかもしれない」という希望だからである。
追い詰められた人ほど、その希望にすがりたくなる。

購入した瞬間だけ高揚感が生まれるよう設計されている点も厄介だ。
申し込みボタンを押した時、自分は前進した気分になる。
しかし現実に成果が出なければ、「努力不足」「マインド不足」と責任は購入者へ返される。

ここには残酷さがある。
本来なら支えられるべき人が、最後の資金や借金枠まで差し出してしまう。
しかも失敗した時、自分の能力まで否定されやすい。
死体にムチを打つような構造だと感じる理由はそこにある。

自己否定を促すマインドセットの危うさ

私は、よく語られるマインドセット至上主義にも違和感がある。
多くの場合、それは「今の自分では駄目だ」という前提から始まるからである。
まず自己否定させ、その後に新しい思考法を売る構図になりやすい。

違和感や恐怖を「メンタルブロック」と呼び、直感を無視させる例も少なくない。
もっと前向きに、もっと稼ぐ意識を、もっと行動量をと急かされる。
終わりのない最適化競争であり、心が休まらない。

私はむしろ、ありのままの自分で人生を切り拓く方が健全だと思う。
自分の性格、得意不得意、興味関心を材料に進むからこそ、独自性が生まれる。
他人のテンプレートではなく、自分の足に合った靴で歩くことに価値がある。

本当に人を強くするのは生活力である

私は、不安の多い時代ほど生活の基礎体力が重要だと考える。
高額講座より先に、安価で美味しいものを作れることの方が人を自由にする。
食費を抑えつつ満足できる力は、日常を確実に支えるからである。

簡単でも仕事があり、少しでも収入があることも大きい。
一発逆転ではなく、生活を支える数万円を自力で得られる感覚は強い安心につながる。
さらに、ちょっとしたDIYができれば、壊れた物を直し出費も減らせる。

そして友人の存在は何より大きい。
ネットの数字より、実際に顔を合わせて話せる一人の友人の方が苦しい時には支えになる。
食・仕事・修繕・人間関係。
この地味な四点セットこそ、最強のセーフティネットだと私は思う。

安心の土台があるから挑戦できる

私は、挑戦そのものを否定しているわけではない。
むしろ挑戦は必要である。
ただし、生活が崩れれば終わる賭けではなく、倒れても再起できる範囲で行うべきだと思う。

土台があれば挑戦は実験になる。
うまくいけば成果になり、失敗しても経験値が残る。
料理道具を少し良くする、DIYの技術を誰かの役に立てる、小さな副収入を試す。
その程度から広げれば十分である。

結果だけを追う挑戦は苦しい。
しかし、過程そのものが面白い挑戦は続く。
守りとしての生活力、攻めとしての小さな挑戦。
この両輪があれば、不安な社会の中でも自分の人生を主体的に育てていけるはずである。

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#情報商材#社会不安#生活力

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