ランニングコスト150円の「移動革命」

100km走行して電気代はわずか150円。超小型EV「ビベルトラック」が提示したこの数字は、もはや移動が「コスト」ではなく「権利」に近いものになったことを示唆している。
車検も車庫証明も不要なミニカーという枠組みは、所得格差が広がる2026年の日本において、生存圏を維持するための強力なサバイバル・ツールとなり得る。

私は、この車両を単なる便利なガジェットとしてではなく、公共交通が崩壊した地方や、ガソリン代の高騰に苦しむ層にとっての「最後の砦」であると見ている。
しかし、この革命的なモビリティを最も必要とする層の前には、依然として巨大な「制度の壁」が立ちはだかっている。

「車両=贅沢品」という古いドグマの限界

生活保護制度において、車の保有は原則として認められていない。
中古車であっても、資産価値がある、あるいは維持費が生活を圧迫するという理由で「贅沢品」と見なされるからだ。だが、150円で100kmを移動できるビベルトラックのような存在が登場した今、その理屈は崩壊しつつある。

私は、昭和・平成のガソリン車を基準に作られた「贅沢品」の定義を、令和のEV時代にまで引きずることの矛盾を指摘したい。
維持費がこれほどまでに低減されたモビリティですら「生活を圧迫する」と切り捨てるのは、制度そのものがテクノロジーの進化による恩恵を、社会的弱者から奪っていることに他ならない。

福祉の現場にこそ「次世代モビリティ」が必要な理由

公共交通機関が機能しない地域での通勤、高齢者の通院、そして自営業の道具として、安価な移動手段は「自立」への最短距離である。
制度を守るために移動を制限し、結果として就労の機会や健康維持の手段を奪うことは、本末転倒と言わざるを得ない。

私が思うに、ビベルトラックのような次世代モビリティが「福祉の移動手段」として公的に認められるかどうかが、今後の日本のセーフティネットの柔軟性を占う試金石となるだろう。
制度が守るべきは、古いルールへの忠誠ではなく、今を生きる人々の「移動の自由」と「生存の可能性」であるはずだ。私たちは今、テクノロジーによって開かれた「安価な移動」という希望を、制度によって閉ざしてはならない。

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#ビベルトラック#超小型EV#生活保護#移動の権利

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