聖書の伝承を「国家戦略」に変えるイスラエルの冷徹な計算

私は、数千年前の不確かな伝承に基づいて国家が動き、巨額の予算を投じて人々を呼び寄せるイスラエルの姿勢を、単なる宗教的ロマンではなく、極めて冷徹な「生存戦略」であると見ている。
インドから到着した「ブネイ・メナシェ(マナセ族の末裔)」の招致は、ユダヤ国家としてのアイデンティティを補強し、周辺諸国との人口バランスを維持するための切実な手段である。
科学的なDNA解析よりも、「ユダヤ教への改宗」という宗教的手続きによって不確かさを上書きし、法的な整合性をとる。
そこには、国家存続という実利と信仰が合致した、強固な意志が介在しているのである。

「神の意志」という免罪符:法と秩序を飲み込むナラティブの暴力

近代的な倫理や法においては、いかなる理由があろうとも虐殺や排除は正当化されない。
しかし、宗教的ナラティブが支配する世界では、「神の意志」という絶対的なルールが世俗の法を容易に飲み込む。
自分たちを「神に選ばれた正義」とし、他者を「排除すべき悪」と見なす二元論は、凄惨な行為を正当化する免罪符として機能してしまう。
ユダヤという土地が歴史的に血塗られているのは、数千年前の物語が「現在の弾丸」と同じ重みを持ち、過去の犠牲を根拠に未来の正当性を主張し合う円環構造から抜け出せないからである。

日本人が陥る「近代万能主義」の罠と、ナラティブへの渇望

多くの日本人は、経済や効率、あるいは国際法という物差しですべてを測れると信じている「近代万能主義」から抜け出せずにいる。
しかし、私たちが信じている「法と秩序」は、特殊な環境下でのみ成立する「薄い氷」に過ぎない。
中東のような紛争地において、宗教は単なる文化ではなく「生存の根拠」そのものである。
「なぜ不確かな伝承で争うのか」と切り捨てる姿勢は、合理性の定義そのものが食い違っている現実を見落としている。
人間は「意味のない生存」に耐えられるほど強くはなく、どれほど残酷な結果を招くとしても、物語という名のナラティブを求めてしまう生き物なのだ。

近代をハックする信仰:システムをOSとして機能させる生存戦略

近代万能主義の限界を語る一方で、私は近代的なシステムを意識的に「武器」として取り込む宗教組織の戦略にも注目している。
例えば創価学会は、「仏法は道理である」として教義を論理的・科学的に正当化し、民主主義という近代のルール(数の論理)を熟知して組織を拡大させてきた。
彼らにとって近代は「捨てるべきもの」ではなく、自分たちのナラティブの正しさを現代社会で証明するための「OS(基盤)」である。
表面がどれほど理性的で近代的な言葉でコーティングされていても、その核心にあるのは強固な物語への渇望であり、近代さえもハックして信仰を証明しようとする冷徹な意志なのである。

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#地政学#宗教#イスラエル

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