現実が分かると政治に無関心になる

若いころに、政治に関心のあるふりをしていました。
実際、政治の情勢など、分かっているほど、勉強をしたわけではありません。
なのに何をわかっていたのかというと、政治の動きに興味があったというだけです。

テレビ戦略に踊らされていたといいますか、今も池上彰などがテレビでやっていますけれど、そういう話に興味があったのですが、結局一国民が参加といっても、たかが知れているといいますか、一応投票にはいきますけれど、後は政治家さんががんばる事なので、それ以上は、有権者がどう考えるかでしょうね。


年を取ると政治なんてどうでもいいのです。


年を取って、現実がこうなのかと思うと、そんなに必要なものはないとは書きましたけれど、華やかなのって、何歳くらいと考えると、30歳くらいまでで、それ以上から関心度は下降していきますよね。
40から50、50歳になって、何かあるかというと、特別下降の最中ですが、それだけの話でしかありません。
60歳から、考えなくてもいいのですが、何をやろうが大差はないと思うと、無感動にはなります。

考えていて、人のために、何かのためにと淡い若々しさはあったけれど、結局、泉谷しげるの、春夏秋冬のような世界なんですよね。
それは、私は強く感じました。
ある程度の事が出来たのかはわかりませんけれど、人のためって一体それはなんだろうと、実際は思います。

そういえば、以前喜多方でお会いしたおばさんですが、福島県の人って、結構人がいいのかまでは分かりませんが、私と話していた時がありました。
当時、私も若かったので、若い人という風に扱ってくれたのかもしれません。
元々、人がいいのかもしれませんね。

そのおばさんが、ぼそっと、うちの息子はもう帰ってこないと聞いて、なんだろうとは思っていましたけれど、私は結構そういうのって疑う所があります。
人間って、平気でうそをつけると、現実を知ってしまうと、今までのよく分からない行動や言動が、なんとなくわかってくるのです。

だから、あんまり大人になると、人を信じなくなってしまうのかもしれません。
若者はやはり、人がいいと騙されやすいターゲットになります。

若々しいものを食い物にする政治家は沢山いるでしょう。
でも、若さのよい所は、そこから這い上がって、ようするにやり直しがきくし、守ってくれる人や、まあやり直しですね。
致命的なまでに陥らない部分が、若さのよい所ではないでしょうか。
一回、騙されて、現実が理解できると、そんなに、他人には気を許しません。

メニュー

リンク