表現規制反対派の視点で、表現規制派について思うこと

一昔前から現在まで、少年少女の残虐な犯罪や、女児に対する犯罪が発生する度、こぞってメディアがアニメ、漫画、ゲームなどに強引に関連づけして報道をしてました。

その為か、国会議員の中にも、「表現規制を進めるべきだ」と声をあげる人が出てくるようになりました。

何ヶ月か前、ある漫画編集者が、表現規制派の元議員秘書と対談したそうです。
しかし、いくら編集者が漫画表現規制の社会的意義のなさを論理的に説明しても、「気持ち悪いからダメ」しか返ってこなかったそうです。

この編集者は、感情論でしか語れないこの表現規制派に、
怒りを通り越して呆れ返ったそうですが、
私はこの「気持ち悪い」という感情論はバカにできないと思います。

おそらくこの表現規制派の感覚としては、このような感じだと思います。

今、自分の生活しているこの社会を、ひとつの部屋だとします。
自分の部屋で悠々自適に過ごしてたら、部屋の隅っこで一匹の、片手ほどもある大きな芋虫が蠢いています。
この芋虫は人畜無害で、普段は家具の裏で静かに生息しており、時々明るいところに出てストレッチをするのです。

おそらくこの時点で、虫がダメな人はこの部屋から逃げ出すか、この虫をどうにか駆除しようとします、いくら人畜無害であっても。

しかもこのあと、テレビのニュースで、「この芋虫の毒で人が死んだ」と報じられます。
部屋の人間はパニックになってこの虫を駆除しようとするでしょう。
しかし実は、ニュースの殺人芋虫と部屋の中の芋虫は全くの別物。
殺人芋虫との遭遇は宝クジで1等当てるより難しく、専門家が見れば「触覚の数が違う」と一目瞭然です。

でも部屋の人間にはそんなの見分けつきません、専門家がいくら見分け方を解説し、生態系の側面からの有用性を説いても、「オレには見分けることできねーし、そもそも気持ち悪い!」と言うでしょう……。

これが、表現規制派の感覚だと思います。
そしてこの感覚の払拭は、生理的な問題なので難しいと言えます。

この話の元議員秘書はもう立法に対し何の力も持たないらしいのですが、現在の都知事の小池百合子氏は少し心配です。
一時期、表現規制派で活動してたそうなので…

潔癖そうなおばさんなので、東京オリンピックを前に、ポルノ漫画で溢れた秋葉原あたりを取り締まるのではないか少し心配です。
(会場や予算の問題で、それどころではないと思いますが…)

都議選の選挙活動の際、「コミケを応援します」とコスプレをしてオタクに擦り寄る発言をしていましたが、おそらくコミケでどういった漫画が販売されているか把握してないと思われます。

話が脱線しましたが、とにかく、この芋虫がもっと社会的に許容されるには、世代が変わって、人々の芋虫に対する抵抗感がなくなるしか方法はないと思います。

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