危険な害獣から人々を守る

どうしても事故と言えば人災の話題になってしまうですが、今回は獣の被害について論じます。

なんでも、東京の埼玉との境で、クマの足跡があったという事でした。
まだ冬眠していなかったのかと思ったのですが、分からないものですね。

うちの愛犬が、クマの雄たけびに怯えたったっと部屋から立ち去っていきました。
愛犬も気を使わせすぎてしまってはいけないと思っているのかもしれません。

どうしても、愛犬の調子が良くなくて困ってしまいます。
害獣が徘徊していたら気分が良くならないのですね。
まあ同じことを書いても仕方がないので、違う事を考えようと思っているのですけれど。

何だか事故で心が痛いんですよね。
動物による被害でしょうかね。
ちくちくとしてくるのです。
逆さまつ毛でしょうか。
痛いのですが、どこかぶつけたような痛みが走るのです。
どこもぶつけたわけではないのですが、それでもちくちくとしてくるのです。
何だか自治体の対応が不十分と思うのですけれど。

クマやイノシシのせいで、夜に外に出られなくなったというのは、私にとっては致命的でした。
そもそも、二年間はどこにも行く事が出来なくなってしまい、それで困ってしまっているのです。
その間、父の精神状態が悪化しないとも限りませんし。
母のうつが進まないともいえませんし。

明るく笑って過ごすには、うちの家族もダークなひと時を感じているのかもしれません。
ある事件以来、母親の中でどこかぶちっと脳の回線に「人間はそういうものだ」という概念が植わったのかもしれません。
それは本人も言っていて、それ以来、ずっと肩を落として、ゲームばかりやっている毎日が続いています。
私も、本当いうと下らない任意整理なんかやらずに、好きに生きたかったのに、今じゃこんな生活が続いています。

クマに殺された人の恨みつらみしかないのは私もそうかもしれませんね。
辛くて仕方がないと思うと、そういえば昔、路上詩人ののりおさんの書いた色紙を思い出しました。
「空を見上げてごらん。ほらちっぽけな悩みだよ」
ってあれ、悪い言葉ではなかったなと私は最近思うのです。
なんであれ、人の話を聞いてあげたり、辛いけれど、周りにいう事が出来ないというのは、誰でもあると思います。
私もこんなはずではなかったと思うけれど、それは私の責任なのですね。

本当いうと、私も家を出ていきたいと思う事がとても多いのです。
何かものを投げたり、罵倒したいくらい、逼迫してしまっているのですが、それを押し殺して、書いています。
客観性を失っているとしか思えませんね。

ある時期から親が害獣の出現によって暗くなりすぎました。
それから、家庭もどんどん暗くなっていったように思えます。

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